第一尚氏王統

琉球に初の統一王朝を築くこととなる尚巴志は、1372年南山に生まれました。
1406年に中山を滅ぼし、父である尚思紹を中山王に即位させると、首里(那覇)を首都として力をたくわえ、1416年には北山、1429年には南山を滅ぼして琉球を統一しました。

第二尚氏王統

尚巴志の死後、王朝は次第に衰え、内乱の相次ぐ中で王朝の治世は不安定を極めました。
そこに現れたのが農民出身ながら臣下の内でも有力者となった、金丸です。1469年、金丸はクーデターによって王権を奪ったとされています。金丸は正当な後継を主張するためもあってか、尚円と名乗ったため、この後の王朝を第二尚氏王統とよびます。彼の築いた王朝はそののち19代410年間続いていきます。

第二尚氏王統の3代国王尚真の治世に琉球王国はその最盛期を迎えることとなります。
海上貿易で得た富と力をもって、国王中心の統治機構の基盤を固め、行政機関が整備されました。
また、八重山諸島、与那国島を征服、一種の刀狩りなどを行うなど、軍事面においても成功を収める一方、守礼門、弁財天堂などの造営、おもろそうしの編纂など文化的事業に積極でした。まさに彼の50年という長い治世は琉球の黄金時代と呼べるでしょう。

琉球王国の貿易は、日本、中国の明をはじめとして、釜山、ルソン、マレー半島のマラッカ王国、タイのアユタヤ王朝など東南アジア諸国と広い外交関係をもって栄えましたが、ヨーロッパ各国(スペイン、ポルトガルなど)に次第に押され、国力衰退し、薩摩藩に侵略され服属することとなります。